2010年06月30日

エアコンからスズムシが…

 もう一月ぐらい前のことだが、エアコンの吹き出し口から微かに「リリリリリ…」と鈴虫の鳴くような音が聞こえるようになった。
 ラウンジ・グレードは、オートエアコンが搭載されているが、吹き出しの段階が細かく分かれていて(たぶん10以上)、極微風のときに泣き出すのだ。大雑把な風量段階のマニュアルエアコンでは極微風で風を出すことが不可能なので異音は出しようがない。オートエアコン特有の症状だ。
 ブロワーの部品不良で無償交換とあいなったが、日本国内では結構数が出ているらしくそれなりの数が発注されて2週間ちょっとかかった。
 交換して、いまのところ異常はないが、部品番号が変更されていないので対策部品ではない。本国ではオートエアコンを装備している500は極わずかだと考えられるので、症状の確認に手間どっているのだろうか?
 まぁ、こんな細かいことはイタリア人なら気にしないのかもしれん。

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【アバルト東京】アバルト・マルミッテが展示販売中。通常は内側の2本から排気するのだが、3000rpmを超えると外側の2本からも排気され(計4本)、感応的な音を発するそうだ。
 こりゃタマリャン♪

ラベル:FIAT Abarth
posted by ジャンニ at 22:46| Comment(2) | TrackBack(0) | FIAT500日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月29日

AUTO UNION type C 1936

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“PINK-KAR: AUTO UNION type C”

 アドルフ・ヒトラーがドイツ連邦議会議長に選出された数週間後に、ベルリン郊外のグリューネバルドにおいて1933年ドイツGPが開催された。モーター・レース好きのヒトラー総統も貴賓席にて熱狂的に応援した。
 ところがレースはドイツ勢の惨敗であった。仏ブガッティの圧勝であり、メルセデスは6位に入るのがやっとであった。
 貴賓席のヒトラーは地団太踏んで悔しがったに違いない。当時は飛行機エンジンの技術=自動車エンジンの技術であり、軍事力の優位性の尺度でもあったからだ。
 かくして、ドイツ政府はドイツ・グランプリ・チームに対して年間45万ドイツ・マルク(当時の日本円に換算すると天文学的金額)を提供し、上位入賞に応じて相応なボーナスを差し上げようと言うこととなった。
 また宣伝相ゲッべルスは、グランプリによって異常な数の大衆を愛国心の熱狂の渦に巻き込み、全体主義のムードの高揚をもくろんだ。この愚かな精神は、今日のワールドカップやオリンピックに受け継がれている。
 メルセデスとしてはすでに、新しいグランプリの750s規定(全重量750sというだけで他に何も規定がない)に焦点を合わせて、新しいグランプリカーを作ることを決めていたので、ヒトラーによる国家援助はそれに拍車をかける形となった。
 ドイツ・ザクソン地方では、DKW,Wanderer,Audi,Horchの4社が連合した“AUTO UNION”が結成され、偉才フェルディナンド・ポルシェ博士をチーフとしたグランプリカーを開発することが発表された。
 そしてヒトラーの鼓舞によってアウトウニオンV16エンジンが登場する。

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posted by ジャンニ at 22:29| Comment(3) | TrackBack(0) | レーシングカーと海外のレース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月28日

Fiat 500 headphones

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 これがヘッドフォンだそうで……。
 インナーは抗菌&取り外してまる洗い可能。フロントバイザーも取り外しできます。

 お値段は229ユーロ也。

posted by ジャンニ at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | FIAT500日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

MONZA 1967 ホンダの勝利



 ジョン・サーティースが本気を出すときの癖は、コックピットに身体をうずめてヘルメットの頭だけを覗かせることである。
 67年のモンツァでもジョンは頭を沈めていたのだ。



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posted by ジャンニ at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | レーシングカーと海外のレース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月26日

“BRITISH FORD P68” Alan Mann 1000km Nurburgring 1968

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 68年、7リッターというヨーロッパでは途方もない大排気量マシンによるレースの蹂躙を恐れたFIAが、グループ6・プロトタイプのエンジン排気量の上限を3Lとしたのは事実上のフォード外しだった。
 米国フォードは撤退を表明、しかし英国フォードとしてはスポーツカーレースへの参戦による宣伝効果を考慮し、レース活動の継続を模索していた。そこに現れたのがコスワースが開発したフォード・コスワースDFVエンジンである。グランプリ・デビュー1年目にして4勝という高いポテンシャルを搭載するマシンの開発に英国フォードはGOサインを出したのだった。

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posted by ジャンニ at 17:38| Comment(0) | TrackBack(0) | レーシングカーと海外のレース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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