2010年06月29日

AUTO UNION type C 1936

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“PINK-KAR: AUTO UNION type C”

 アドルフ・ヒトラーがドイツ連邦議会議長に選出された数週間後に、ベルリン郊外のグリューネバルドにおいて1933年ドイツGPが開催された。モーター・レース好きのヒトラー総統も貴賓席にて熱狂的に応援した。
 ところがレースはドイツ勢の惨敗であった。仏ブガッティの圧勝であり、メルセデスは6位に入るのがやっとであった。
 貴賓席のヒトラーは地団太踏んで悔しがったに違いない。当時は飛行機エンジンの技術=自動車エンジンの技術であり、軍事力の優位性の尺度でもあったからだ。
 かくして、ドイツ政府はドイツ・グランプリ・チームに対して年間45万ドイツ・マルク(当時の日本円に換算すると天文学的金額)を提供し、上位入賞に応じて相応なボーナスを差し上げようと言うこととなった。
 また宣伝相ゲッべルスは、グランプリによって異常な数の大衆を愛国心の熱狂の渦に巻き込み、全体主義のムードの高揚をもくろんだ。この愚かな精神は、今日のワールドカップやオリンピックに受け継がれている。
 メルセデスとしてはすでに、新しいグランプリの750s規定(全重量750sというだけで他に何も規定がない)に焦点を合わせて、新しいグランプリカーを作ることを決めていたので、ヒトラーによる国家援助はそれに拍車をかける形となった。
 ドイツ・ザクソン地方では、DKW,Wanderer,Audi,Horchの4社が連合した“AUTO UNION”が結成され、偉才フェルディナンド・ポルシェ博士をチーフとしたグランプリカーを開発することが発表された。
 そしてヒトラーの鼓舞によってアウトウニオンV16エンジンが登場する。

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2010年06月27日

MONZA 1967 ホンダの勝利



 ジョン・サーティースが本気を出すときの癖は、コックピットに身体をうずめてヘルメットの頭だけを覗かせることである。
 67年のモンツァでもジョンは頭を沈めていたのだ。



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2010年06月26日

“BRITISH FORD P68” Alan Mann 1000km Nurburgring 1968

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 68年、7リッターというヨーロッパでは途方もない大排気量マシンによるレースの蹂躙を恐れたFIAが、グループ6・プロトタイプのエンジン排気量の上限を3Lとしたのは事実上のフォード外しだった。
 米国フォードは撤退を表明、しかし英国フォードとしてはスポーツカーレースへの参戦による宣伝効果を考慮し、レース活動の継続を模索していた。そこに現れたのがコスワースが開発したフォード・コスワースDFVエンジンである。グランプリ・デビュー1年目にして4勝という高いポテンシャルを搭載するマシンの開発に英国フォードはGOサインを出したのだった。

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2010年06月24日

SPA-FRANCORCHAMPS BELGIQUE

 スパ・フランコルシャン・サーキットといえば、かつては全長14qの長さにより天候が変りやすいことと、スピードが出しやすく事故が起こりやすい危険な公道サーキットとして有名であった。
 歴史は古く、1924年に第一回のスパ24時間レースが開催され、翌年にはヨーロッパグランプリが開催されている。


映画 “Grand Prix”、スパ・フランコルシャンの雨のレース・シーン。

F1界の重鎮、故中村良夫さんが、スパ・フランコルシャンについて書き残している。当時、ホンダのジョン・サーティースによる雨天での追い越しのテクニックが解説されている。

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2010年06月22日

映画“Grand Prix”1966


俺が5歳の頃、親父に連れられて観に行った映画。映画を見た後、何日か経って親父はマッチボックス製のF1ミニカーを数台買ってきてくれた。ワイドスクリーンのシネラマが懐かしい。いまなら3Dなんだろうねぇ。素晴らしいタイトルデザインは有名なソール・バス。MGM配給、監督はジョン・フランケンハイマー。

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タグ:映画
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2010年06月21日

LE MANS 1966 FORD GT MARKU 優勝の真実

SCALEXTRIC による“LE MANS 1966”ボックスセット。
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ふたを開けると1966年ル・マン、3台の“FORD GT MARKU”が収められている。
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1位、A ブルース・マクラーレン/クリス・エイモン組
2位、@ ケン・マイルズ/デニス・ハルム組
3位、D ロニー・バックナム/ディック・ハッチャーソン組

ところが真相は違っていた。実際はケン・マイルズ組の@が余裕で優勝していたはずなのだ!
ボックスセット蓋の隅にある写真でも、マイルズのマシンだけがライトを点灯し、「俺が優勝だ」とアピールしているのがわかる。

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2010年06月18日

MASERATI 250F

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“1957年ドイツGPにおいて快走する不世出のドライバー、ファンジオの雄姿。250Fはこの時点で270ps/8000rpmを発生”

スーパーチャージャー1.5リッター直列8気筒エンジンをアルファ・ロメオで設計し、名車“ALFA ROMEO 158”を作りだし、フェラーリではスーパーチャージャー1.5リッターV12エンジンで世に問うたジョアッキーノ・コロンボが、マセラティに招かれて設計したのが“MASERATI 250F”だ。

ホンダF1初代監督、故中村良夫さんによれば、
レーサーとしてすぐれたバランスのとれた、総合力の高いクルマであった。真正のプロの作品であるということになるのであろう
と評価している。

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2010年06月17日

【ブルース・マクラーレン】 ル・マンの魔力 最終回

ブルースの手記「ル・マンの魔力」の最終回をお届けする。
訳が酷い文章であるが、ブルースが本質的に耐久レースが好きではないことは、文章からひしひしと伝わってくる。

それと今回は、ブルースの人となりを書いた故中村良夫さんの文章も転載した。こちらは中村さんらしいウィットにとんだ文章だ。

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「スタート直後の64年ル・マン。GT40がかなり後方の集団に埋もれていることに注意」

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2010年06月16日

【ブルース・マクラーレン】 ル・マンの魔力 その3

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1964年のル・マンにデビューした“FORD GT40”は、リッチー・ギンサー(翌年にはメキシコ・グランプリにてホンダRA-271を操り見事優勝を果たしている)による操縦で、1時間後には2位に40秒もの大差をつけトップを爆走した。最高スピードも306q/hという今大会2位の記録をマーク。GT40のポテンシャルの高さを示したのだが…。

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2010年06月15日

【ブルース・マクラーレン】 ル・マンの魔力 その2

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ことしのル・マン、結果はまさに「魔力」の所為とも言える内容だった。
予選で1位〜4位を独占したプジョー・908HDi・FAPがまさかの4台全車リタイアとなったのだ!
去年まで“XBOX 360”がスポンサーだったのに、プレステに変えたからだろうか(苦笑)。
 
去年の王者プジョーがいないル・マンでアウディが確実な勝利をモノにした。ネット中継していたプジョーのサイトでは司会者の愕然とした表情が哀れだった。
http://www.asahi.com/car/cg/TKY201006140315.html


ル・マンの魔力を語ったブルース・マクラーレンの手記の続きを転載する。


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2010年06月14日

【ブルース・マクラーレン】 ル・マンの魔力 その1

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“FORD GT40”
俺にとっては、特別なクルマである。正確には“FORD GT”という名でマッチボックス社から出ていたミニカーを買ってもらい、お気に入りにしていた。5歳の頃である。
写真は、最初期型。フロントマスクの形状が実戦に参加したものと大幅に違うことに注意。
ラジエターはサイドに配置され、フロントのエア・インテークはない。ドライビング・ランプが吊り下げられ、リア・スポイラーもない。ワイヤー・ホイールとなっている。

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ル・マン24時間レースでの常勝チームであったフェラーリを打倒するために投入されたフォードGT40。そのデビュー戦であった64年からGT40のステアリングを握っていたブルース・マクラーレン。
66年のルマンでは、GT40で優勝を飾った本人だ。

その彼が「ル・マンの魔力」という手記を残しているので、数回に分けて紹介しよう。

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タグ:ford ル・マン
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2010年06月05日

シャパラルと“Trans-Am”

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“SCALEXTRIC: CHEVROLET CAMARO”1970

このスケレのカマロが発売されるまで、シャパラルが“Trans-Am”に出場しているとは知らなかった。

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タグ:GM CHAPARRAL
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2010年04月29日

FIA GT1 WORLD CHAMPIONSHIP に注目!

FIA GT1 2010 Promo from Corvette Motorsport on Vimeo.



F1も含めて、自動車レースというものに10年以上も無関心(往年のレースは除く)だったのだが、スロットカーに夢中になるにつれて現行のレースにも興味がわき始めた。
たまたま知った“FIA GT1 WORLD CHAMPIONSHIP”。今年の参加車種は、フォードGT、シボレー・コルベットZ06、ランボルギーニ・ムルシエラゴR-SV、マセラティMC12、アストンマーチンDB9、そしてわが日本の日産GT-R(SUMO POWER)だぁ!
フェラーリの参戦がないのが寂しいが、レース内容は抜きつ抜かれつの熱い内容が嬉しい。

第1戦ドバイでのレースが公式サイトで全部見れるぞ。必見だぁ。
http://www.gt1world.com/gt1tv
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2010年04月18日

気になるトランスポーター

この前、ペガソの変ったトランスポーターを紹介したが、あれ以来トランスポーターが気になって仕方がない。
レースの脇役として、トランスポーターは各チームの顔になる。
スロットカーの脇役としても1台は欲しいアイテムだ。

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“B.R.M racing cars”
1959年製、ボディはアルミの叩き出し。3台のレーシングカーを収容できる。

まだまだあります
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2010年04月05日

CHAPARRAL 2F 1967

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60年代初め、アメリカの国内レースに、シャパラルという名の個性的なレーシングカーが登場した。
片田舎テキサス出身のジム・ホールが生み出したマシーンは、やがて北米レースで圧倒的な成績を挙げただけでなく、革新的なメカニズム(それは失敗の始まりでもあったが)で自動車レースの歴史に名を残すことになる。


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2010年03月17日

“Ferrari 375”アルファ・ロメオをグランプリから葬ったマシーン

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いまから60年ばかり前、名車アルファ・ロメオ159(通称アルフェッタ)が過給エンジンでのグランプリ常勝利車となっていた頃のレギュレーションは、エンジン容積を自然吸入方式で4.5リッター、過給機つきの場合はその1/3の1.5リッターに制御していた。このアルフェッタも1479tであったわけだ。
ドライバーには偉大なるファンジオがこれを操り、アルファの天下は続くかに思えたのだが…。

そこにフェラーリが投入したのが“375”。
Ferrari-375-F1_1.jpg

フェラーリ 375は、1950年〜51年のF1世界選手権にフェラーリが投入したフォーミュラマシン。
イギリスGP(シルバーストーン・サーキット)でついにアルファロメオを破りF1世界選手権初優勝をフェラーリにもたらした記念すべきマシンとなった。

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2010年03月16日

【1955 Mille Miglia】 ファンジオが“300SLR”モノポスト(単座)を選択した理由

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“右がファンジオ、左がモス/ジェンキンソン組。ナビゲーター用のドアが無いことに注意。モスの3本スポーク、ファンジオの十字スポークのウッド・ステアリング。バックミラーの位置の違いなど、細かく仕様が異なる”

メルセデス300SLRのデビュー戦『ミッレ・ミリア』で、ファンジオはナビゲーターの搭乗を拒否していた。
一方、チームメイトのスターリング・モスは、英国きってのモータースポーツ・ジャーナリストの“Jenks”デニス・ジェンキンソンにナビを依頼。驚異的な平均スピード記録(157.60q/h)を樹立し優勝したことは以前書いた。
http://fiat500.seesaa.net/article/142853896.html

記事をアップした時は、ファンジオがあえて不利となる、ナビゲーターを乗せずモノポストを選択したことが理解できなかったのだが、その理由をナビを務めたジェンキンソンが『SUPER CG 05号』に寄稿しているので紹介する。

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2010年03月08日

1962 Ferrari 250 GTO

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1962年からスポーツカーのコンストラクターに与えられるチャンピオンシップは、グラン・ツーリスモ(GT)によって争われることになった。このベルリネッタは2001cc以上のクラス3GTレースに出場させるため、250GT標準型を改良したもの。とは言っても、それは大掛かりなものとなった。

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2010年02月21日

1957年 ドイツGP ファンジオ生涯最高のレース

フェラーリと決裂したファンジオは、いろいろなメーカーからの申し入れを慎重に検討した結果、1957年にマセラティと契約することとなる。


“Maserati 250F”を操縦するファンジオの雄姿。


“250F”は名技術者ジョアッキーノ・コロンボが設計した3000t、315psを発生するV12エンジンをフロントに搭載。ラダー・フレーム、4輪ドラム・ブレーキというこのマシンを4輪ドリフトでファンジオは操り、57年のドイツGPにおいてマセラティに劇的な勝利をもたらした。

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タグ:MASERATI FERRARI
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2010年02月20日

1955年のルマンで何がおきたのか? ファンジオの回想



今この自伝を書くために、メモや、大見出しのついた新聞を読んでいると、世界に大きな衝撃を与えた、あの悲劇のレースの記憶がよみがえってきた。モーター・レース史上、最大の惨劇といわれたレースである。
1955年6月11日、ルマン24時間レース。
(JM.ファンジオ+M.ジャンベルトーネ著『ファンジオ』高斎正訳より)


これから紹介するのは、偉大なるレーシング・ドライバー、ファン・マヌエル・ファンジオが語った1955年ルマンでおきた惨劇の瞬間の一部始終だ。


事故の詳細に関しては当無礼ログ記事を参照してください。
http://fiat500.seesaa.net/article/120670024.html




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posted by ジャンニ at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | レーシングカーと海外のレース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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