2010年03月10日

1967年 第4回日本グランプリ 武士道なき“Hino SAMURAI”

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いまじゃ日野はトヨタグループのトラック製造メーカーですが、昔は写真のようなレーシングカーを造っていたなんてぇ、若い人には信じられないかもしれません。

“サムライ”と称されたこのクルマは、もとシェルビー・アメリカンのデザイナーでデイトナ・コブラやギア・デ・トマゾ5lスポルトなどのデザインを手がけたピート・ブロックをチーフとするブロック・レーシング・エンタープライズの設計によるもの、1967年の第4回日本グランプリ直前にアメリカで完成した。
しかもチーム“ヒノ サムライ”を率いるのは、「世界のミフネ」(お笑い芸人ではありません)こと映画スターの三船敏郎。
いやがうえにも注目を集めたのですが…結果はレース前車検が不合格で失格となり、走ることもできなかったのだ…。

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タグ:日野
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2009年12月05日

1964 第2回日本グランプリ スカイライン伝説の真実

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1964年5月2日〜3日に行われた第2回日本グランプリ。
前回のグランプリで勝利の美酒の味を覚えたメーカーは、ルール違反ギリギリの改造を施すこととなる。見た目は市販車そのままのクルマをいかに速いクルマに仕立てるかのしのぎを削ることとなる。

さすがに、エンジン排気量を大きくするなど、レース後車検でバレるようなヘマは有りえないが、スタート前やゴール後の車検方法ではバレないだろうと思われる個所への改造? は当たり前のごとく行われた。ボディー鋼板をコンマ数ミリ薄くすれば軽量化が進む、市販車には無いボディー構造の補強、燃料タンクの小型化、エンジンオイル増量用隠れオイルパン、エンジン冷却やミッションギア段数の変更、等々である。また外観では市販車と同一のカモフラージュ特殊車両造りにかけた製作費は市販車価格の十倍や二十倍では追いつかないものまである。これが一社(車)だったら大問題だが、全てが似たり寄ったりだから、レース参加メーカーが持てる全てのチューンアップ技術と賢さ…を投入したと考えれば不公平はない?(大久保力著「サーキット燦々」三栄書房より)



第1回日本グランプリで惨敗したプリンスは、GT−Uクラス(1,000〜2000t)に照準を合わせ、スカイラインGTを投入する。既存のスカイライン1500の車体前部をぶった切って継ぎ足ししてエンジンルームを長くして、そこにグロリアの2000t直列6気筒エンジンを積み込んだ歪なクルマを作ってしまったのだ。プリンスはこのスカGを7台も投入し、確実に表彰台を狙う体制を整えていた。
個人参加である式場壮吉の Porshe 904 が現れたのはレース2週間前の4月16日のこと。世界で100台ほどしかないポルシェが日本にいる。必勝態勢でレースに臨んでいたプリンス関係者に与えた衝撃は計り知れないものがあった。
当時、ポルシェ代理店であった三和自動車がつけたプライスが571万円!(いまの価値で約6300万円)。
第1回日本グランプリに招待されていたポルシェのハンシュタインが、ポルシェクラブの会員であった式場のために都合してくれたのだ。

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タグ:PORSCHE 日産
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2009年12月04日

1963 第1回日本グランプリで起こった悲喜劇

25億(現在の価値では約275億円!!)もの巨費を投じホンダの英断により建設された、日本初のFIA公認コースである「鈴鹿サーキット」にて行われた1963年の第1回日本グランプリ。
何しろ、メーカーでさえも初体験の自動車レース。
JAFが創設されたのが63年。よって、実質的な運営は鈴鹿サーキットの運営会社がJASA(日本自動車スポーツ協会)を設立して主催者となった。
レースの経験のない「ど素人」が運営して、性能の低い日本車を「ど素人」が運転するという大変危険なものであったようだ。



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2009年08月26日

DATSUN Fairlady 240Z Safari-1971

お台場メガウェブ「昭和のモータースポーツ名車展」に展示されているZです。
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日産自動車の国際ラリー初参加は1958年の第6回豪州ラリーで、オーストラリア大陸を1周するという過酷なものであった。ダットサン210型2台で挑戦し、初出場ながら2台そろって完走し1台が1,000t以下のAクラスで優勝を飾った。その後、日産が海外ラリー本格参戦の舞台として選んだのがサファリラリーであった。1963年からブルーバード(P312)とセドリック(G31)で挑戦をスタートしたが、結果が出たのは1966年でブルーバード(411)が総合5位、クラス優勝を果たした。この時の活躍の様子が「栄光への5000q」として出版され、後に石原裕次郎主演で映画化されることとなる。その後もサファリラリーを中心に参戦し、1969年にブルーバード(P510)でクラス優勝、1970年には初の総合優勝を成し遂げる。1971年からはエンジンを直列6気筒OHC・2497ccのL24型を215馬力にチューンナップしたものを搭載したフェアレディ240Z(HS30)で参戦、再び総合優勝を飾る。日産の活躍と映画の効果もあり、ラリーファンが急増したのがこのころである。1979年から82年まではバイオレット(PA10)でサファリラリーで4連覇という圧倒的な強さを見せた。
この車両は1971年のサファリラリー優勝車で、ドライバーはE.ヘルマン

豪州での国際ラリーに出場しようと会社に提案したのが、あの「フェアレディZの父」である片山豊氏。
まさに片山さんがいなければ、日産のサファリラリーの栄光もなかったというわけです。
片山氏は来月で満100歳で御健在です。
ベストカー9.26号のインタビューにて、
「日本はまだまだ自動車文化面からの発想が貧困で、道路行政も欠陥だらけ。いっぽう街中ではそんなに大きいクルマは必要ないはずなのに、人々はそろって箱型バンのクルマに乗っています。今の日本には自動車文明はあっても自動車文化は育ってないんだなと思いますね」と苦言を呈されておりました。


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このサファリラリー優勝車は、当時小6であった自分にとっても憧れのクルマでした。1/12のタミヤのプラモはお年玉でも買えなかったと記憶しています。
現在復刻版で発売されているものが7875円ですからねぇ。
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2009年08月25日

伝説の天才レーサー「浮谷東次郎」展

お台場のメガウェブ「ヒストリーガレージ」にて「伝説のレーサー 浮谷東次郎 展」が行われている。入場は無料だ。
http://www.megaweb.gr.jp/Event/Motorsports/

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CCCレース GT−Uクラスで優勝した東次郎が運転したロータス・エラン

まだ鈴鹿サーキットしかなかった1960年代半ば、富士よりも早く、関東初のレース場「船橋サーキット」が誕生した。
記念すべき開幕戦、通称CCCレースは、中止された日本GPに替わる、65年随一のビッグイベントとなった。
クラブ対抗を謳いながらもメーカー対決の様相は濃く、精鋭20台ずつ、計4レースで熱戦が演じられた。
雨が、黎明期特有の混沌とした状況にさらに拍車を掛け、眼鏡をかけた23歳、浮谷東次郎が2レースを制する殊勲を挙げる。
それも、国内レース史上に燦然と輝く大逆転劇とともに。
歴史の目撃者となった船橋サーキットはしかし、わずか2年後には閉鎖される運命にあった。
“夢想花”は、60年代半ばだからこそ斯くも華々しく咲いたのだ。
(三栄書房「日本の名レース100選」003より)
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タグ:浮谷東次郎
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2009年05月13日

1966年 第3回日本GP プリンス最後の栄光

1966年5月3日、「世紀の大レース 時速300キロ
時代を感じさせるキャッチコピーが象徴する、第3回日本グランプリが富士スピードウェイで開催された。
前回まで鈴鹿サーキットで行われていたが、新興4輪企業であるホンダの運営であることがトヨタや日産にとっては気に入らなかったらしいというのが、富士で開催された理由であったとされている。富士スピードウェイの完成を待つため、前年の日本GPは中止となった。



プリンスが前回の第2回日本GPでの雪辱をはらすために開発したマシンがR380だ。
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2009年05月10日

1965伝説の船橋サーキット 浮谷東次郎


千葉県船橋市、現在ららぽーとTOKYO-BAYとなっている土地に1965年、船橋サーキットが誕生した。記念すべき開幕戦、通称CCCレースは中止された日本GPに替わるビッグレースとなった。
トヨタモータースポーツクラブ所属の浮谷東次郎が2レースを制することとなる、しかも日本レース史上に燦然と輝く大逆転とともに。
このレースの1カ月後、浮谷は鈴鹿サーキットにて練習走行中に事故。帰らぬ人となる。享年23歳であった。

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posted by ジャンニ at 22:55| Comment(0) | 日本のレース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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