2010年05月10日

CITROEN DS3 Chic

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赤レンガ前のイベントです。
なぜか、シトロエン関係者の姿は見えず。せっかく展示しているのに、自ら商機を失うとは…売る気があるのでしょうか?
フィアットのチェッカーモータースが積極的にパンフレットを配っていたのとは対照的でした。ダメダこりゃw

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タグ:CITROEN
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2010年05月09日

CITROEN C3 とヘリコプター

横浜赤レンガ倉庫で行われた雑誌「ルボラン」(自分の趣味ではないが)主催のイベントで、シトロエンC3&DS3の展示があるというので観に行った。

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どうですかぁ。この存在感。昔のシトロエンとは違って、適度な押し出し感がありますなぁ。エンジンはBMWミニと共通の1.6直4DOHCを4速ATと組み合わせて搭載。うーむ、我がフィアットもツインクラッチ2ペダルに移行しようとしているのに、4速ATなのが残念な気もしますが。
価格は209万円からと御買い得感あり。ただし、エ○カー減税の対象にはならないようだ。

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エクステリア最大の特徴は、ウインドスクリーンがBピラーまで伸びた「ゼニス(頂上)フロントウィンドウ」を採用していること。

これには、過去にシトロエンがヘリコプターの研究開発を行っていたことがあり、その経験を生かしたものだという。確かにヘリのキャノピーのように開放的だ。
意外なことだが、過去にシトロエンはヘリを試作していた時期があった。70年代初頭のことだ。

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シトロエンはNSU社とヴァンケル方式のロータリーエンジンで提携していた時期があり、そのロータリーエンジンを2ローター水平マウントしたヘリコプターを試作した。それが“Citroen RE2”だ。最高速度は200q/hに達したという。79年まで研究実験は続いていたようだ。
タグ:CITROEN
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2010年05月07日

Citroen GS models over 40 years

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40年前の1970年、シトロエンの歴史にとって重要な2つのモデルが発表された。SMとGSである。どちらも Robert Opron によってデザインされた。

今回は“GS”を紹介しよう。
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タグ:CITROEN
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2010年03月04日

Renault Wind





“Twingo”のクーペとして出るのかと思ったら、“WIND”という名でデビューした。エントリーモデル1.2の100psなら、230万円前後と云うのだから安いぞ。
どうせ、ゴルディーニ仕様も後から出るのでしょう。

カッコイイとは言えないけれど、フランス車らしいアッケラカンとした楽しさがありますね。
タグ:Renault
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2010年01月25日

Retromobile 2010: The Peugeot 404 at age 50

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プジョーは今年のレトロモビルにて、1960年に発表された“404”の50周年記念を祝った。
クラシカルな優雅さを具現化したボディ・デザインはピニンファリーナによるもの。
それまでのコロンボ警部によって知られた、あくまで地味なたたずまいを良しとする、とてもピニンとは思えない前型“403”からは激変したと言える。

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タグ:PEUGEOT
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2010年01月18日

Mini と Fiat 500 に対するシトロエンからの回答“Anti Retro”DS3



過去の栄光にすがっていては、前進はありえない。

まさにクルマの前衛であったシトロエンならではのCMコピーだ。

高級コンパクト市場に打って出るシトロエン。はたして勝算は?
タグ:FIAT BMW CITROEN
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2010年01月15日

次期ルノー・クリオはいろんな意味で絶望的です

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第一印象ですが、出来損ないのトヨタ・ヴィッツの出がらしのような雰囲気ですねぇ。味も素っ気も無いです。
本国では販売台数No1の現行クリオ(日本名ルーテシア)も、ほとんど見かけない現状では…カングー(新型走っているの見たことないですが)を売るしかなさそうです。営業マンが可哀そうだぁ…。
日本での販売台数年間3000台を未だに達成できない…そろそろルノーも日本から撤退でしょうかねぇ。

ところで、この新型クリオ、2013年の登場を予定しているそうですが、生産拠点がフランスから他国へ移る可能性をゴーンCEOが示唆していることで、サルコジ大統領はイライラしているようです。
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2009年12月29日

Renault Twingo CC

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ちょっとファニーな“Twingo CC”。ライバルのプジョーがCCで好調なのに目を付けたのか?
ところが、ところが、タルガ・トップの部分が、フィオラヴァンティというのだから驚きだぁ!!
あの、“Ferrari 575 Superamerica”のタルガ・トップをデザインしたフィオラヴァンティによるデザインなのでクルマ好きにとってはムフフ…なのであるのだが、果たしてどうなる事やら。
まぁ、例によって日本では並行屋が先行販売してチョロチョロ売った後に、誰もが忘れてしまった頃を見計らって正規ものが販売されるんでしょうなぁw
ちなみにホイールベースが10センチ延長されているそうな。
タグ:Renault
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2009年12月09日

Peugeot 405 イランでの第2の人生

1987年から240万台が生産されたプジョー405。
このプジョー405がイラン最大規模の自動車製造業者であるIran Khodro Company (IKCO)によって製造される。同社はエジプトへの輸出を目論んでいるという。

クルマはグレードで 405/Pars/Roa と称される。
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Roa はオリジナルの405のフェイスで、プジョー504に搭載された古臭い1.6(80ps)と1.7(88ps)エンジンを搭載する。

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405はヨーロッパ市場で92年に登場したフェーズ2の顔つき。エンジンは1.8i(97ps)エンジンを搭載。

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Pars は豪華仕様。かつてプジョーが Persia という名でロシアに輸出したものと同じもの。エンジンは1.8i(97ps)と1.8i 16V(110ps)で、一番馬力のあるものが搭載されている。パトカーには1.8iで100psとなっている。
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IKCO社は、ほかにもスズキ・エスクード、206のセダンとか、ダチア・ローガンも製造していて「ごっちゃ煮」の面白いラインナップがある。
http://www.ikco.com/Fa/Default.aspx
タグ:PEUGEOT
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2009年11月26日

Renault Vel Satis 製造中止へ

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ついにルノーは2001年に発表された高級車ヴェルサティスの製造中止を決定しました。
サフランの後継車であったヴェルサティスはパトリック・ルケマンにより5ドア・ハッチバックの前衛芸術というような意欲作でしたが、さすがにヨーロッパでも保守的な購買層が占める高級車市場では無理だったようです。
当初は年間6万台を目標としていましたが、実際は8年間で6万2千台が製造されたにすぎません。

後継車はサムソン自動車により製造されることになりそうで、サフランという名前が復活されるもようです。

パトリック・ルケマンのデザインは写真写りが悪いクルマが多く、このヴェルサティスもその1台です。

自分は東京モーターショーの展示車を観ましたが、実車は数倍素晴らしいものでした。シトロエンDSに通じる、ある種の退廃的な匂いがプンプンするクルマだったのです。
トヨタのデザイナーでしょうか、2名の男が展示車の内装の寸法を巻き尺で計測し、こと細かにメモしていたのには驚きました。
それぐらい、居心地のよい室内であったわけです。

会場では、多数の人が「いつ発売されるのか」とコンパニオンに訊ねていましたが、「来年には販売される予定です」という約束は守られることなく、カングーばかり売れる市場に日本はなり果ててしまったわけです。

タグ:Renault
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2009年11月25日

名ばかりのゴルディーニ復活劇w

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ついにゴルディーニ復活。ルノーはゴルディーニの最初のモデルとして Twingo を選んだ。
ベースは Twingo RS 。
それに、17インチの専用アロイホイール、専用バケットシート、ドアパネルにはブルーのレザートリム、革巻きのステアリング、シフトノブにはゴルディーニのロゴ入り、自動防眩ルームミラー、オート・ヘッドライト、クルーズコントロール、オーディオコントローラー付きステアリング、ブルートゥース・コネクター…などなど、豪華装備がついて、肝心のエンジンと足回りのセッティングは、まったく RS と同等のママ。

ガッカリですなぁ。
ゴルディーニって走りが良いから注目されたんであって、豪華装備で皆が絶賛したわけじゃないでしょうが。
装備を簡素化して軽量化するとか、いろいろ出来るハズだと思うのですが…。

これでは、昔フィアットがバッジチューンで発表した「なんちゃってアバルト」と変わらない。

あの世で、ゴルディーニも嘆いていることでしょうよ。
タグ:Renault GORDINI
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2009年11月15日

Gordini Story. chapter 3

ルノーに雇われの身となったゴルディーニは命ぜられるままに、エンジンを改造していった…。

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1958年、ルノーと契約した“エンジン屋”ゴルディーニは、ファミリーカーであるドーフィンの高性能版を完成させる。
吸排気系をモディファイし、圧縮比を8.0に上げ、28mm径のゼニス・キャブレターを32mmのソレックスに換装して37ps/5000rpmにチューンした。3速ミッションは4速になり、最高速は125q/hに向上した。
翌59年には40psとパワーアップされている。

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1962年には、圧縮比を9.2に高め、ダブルチョーク・ソレックス2基で49ps/5600rpmとした最高速140q/hのドーフィン1093も少数造られた。
64年には、4輪にロッキード製のディスクブレーキが標準装備となった
ドーフィン・ゴルディーニは1968年まで生産が続けられた。


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ドーフィンの後継車R8。5ベアリングの1000ccエンジンを搭載したファミリーカー。世界初の4輪ディスクブレーキを採用している。
ゴルディーニは1108ccOHVエンジンをプッシュロッドのまま、ゴルディーニによりヘッドを大改造され、50度V字形バルブ配置、半球形燃焼室のクロスフローにされている。圧縮比10.4と2基のダブルチョーク・ソレックスで実に88ps/6750rpmを発生。795sのボディを170q/hまで引っ張る。ブレーキにはサーボが標準である。ボディはもちろんフレンチブルーで、買うと2本のストライプのための白い粘着テープがついてきた。
このクルマのラリーでの活躍は目覚ましく、第1戦の64年ツール・ド・コルスでは参加79台中、完走が8台という過酷なレースだったにもかかわらず、総合で1位、3、4、5位を占めた。
ちなみに2位はアルファロメオTZである。


1966年、R8ゴルディーニは1255ccにボアアップされ、95ps/6500rpmに向上、車重855sで最高速は+5の175q/hとなった。
0〜1qは31.9秒で2000cc時代のポルシェ911Tより速かった。

その後も、ゴルディーニは、ゴルディーニ12などの市販車エンジンのチューニングに翻弄。
1967年、ルノー公団はルマンその他のレースでの大排気量クラスのチャレンジを目論見、ルノー・アルピーヌ・ベルリネッタ用、3000ccV8エンジンの開発をゴルディーニに命じる。
しかし、1968年に出来上がったV8エンジンは非常に保守的な設計であった。1気筒あたり2バルブ、4基のキャブレターなど、オーソドックスなV8は、2996tの排気量で312ps/7800rpmを発生したが、ライバルが1気筒あたり4バルブ、インジェクションで400ps以上を叩き出している現状では非力すぎた。ゴルディーニは、ルノー公団幹部を失望させ、これ以降、彼の名声は有名無実のものとなっていったである。

ルノーがゴルディーニのために造ったパリ近郊ヴィリ・シャティヨンの工場からもゴルディーニの名前は消えていった。
10年ぐらい前まで、ここでルノーを勝利に導いたF1エンジンが開発されていた。もちろん、エンジンヘッドに刻まれた“ルノー・ゴルディーニ”の文字は、とうの昔に“ルノー・スポール”に変わっていた。

本来なら、F1にずっと挑戦したかったであろうゴルディーニ。
その晩年は、大衆車のエンジン改良に翻弄され続けた人生であった。

今年、ルノーはゴルディーニをプレミアムブランドとして復活させることを発表しているが、あの世でゴルディーニは、この世の無情を噛みしめているのだろうか。

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タグ:GORDINI
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2009年11月14日

Gordini Story. chapter 2

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Gordini T161953 Belgian GP (21 June 1953)

ベルギー出身のレーサー&モーター・ジャーナリストであったポール・フレール(1917〜2008)は、ゴルディーニのレーシングチームのドライバーとして、1954年に4回、グランプリに挑戦している。彼はゴルディーニを冷酷に「非科学的であった」と評価する。
たしかに彼は天才的なメカニックであったが、彼の自動車工学に関する知識は100%経験的なものだった。彼の技術的問題に対するアプローチはまったく非科学的だったし、専門的知識を持つインテリを毛嫌いした。あるいは彼らに対して劣等感を抱いていたのかもしれない。長い経験から、比較的信頼性の高いエンジンを造るノウハウは身につけていたが、競争相手に比べると比出力は低かった。このハンディは、彼の単純な軽いシャーシのおかげで若干帳消しになったのは事実である。しかし私がレースで走ったゴルディーニの操縦性がまあまあよかったのは、科学的なアプローチのおかげというよりも、偶然の賜物だったろう。(『いつもクルマがいた ポール・フレール自称伝』二玄社より)


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Gordini T16のエンジン。Gordiniのロゴに注意。

ゴルディーニはエンジン屋であったが、サスペンションについては完全に誤った理解をしていたようだ。ポール・フレールは著書にて、その証拠を提示している。

フランス語ではアンチロールバーのことをスタビライジングバーと呼ぶ。1956年のトゥール・ド・コルシカ・ラリーのために、ゴルディーニはルノー・ドーフィンのチームを準備した。このラリーには、たくさんの長いスペシャルセクションがあった。ドーフィンはリアにオーバーハングしたエンジンとスィングアクスルを備えており、当然強いオーバーステアを示したが、それはフロントに強いアンチロールバーを付けることによって手なずけることができるはずだった。ところがゴルディーニはそうしなかった。たぶん彼はこう思ったのだろう。リアは“アンステイブル”だ。それならリアに“スタビライジングバー”を装着すれば直るはずだと。実際に彼はそうしたのである。
ゴルディーニが最後のF1に全輪独立懸架を設計したとき、彼はその理由を、ハブキャリアをリーディングアームとトレーリングアーム上にピボットさせ、ワッツリンクとして作用するようにするためだと、私に説明してくれたものだ。だが、この時代でもすでに、ホイールのパラレルな動きよりも、キャンバー角を制御した方がよい操縦性を得られるということは自明の理だった。(同上より)


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Gordini T161953 French GP (5 July 1953)

いつも上位に食い込めそうな速さをゴルディーニのマシンは持っていたものの、結局、ポールが参加した4回のレースはすべてリタイヤに終った。
ゴルディーニでの最後のレースとなったドイツGP・ニュルブルクリンクはポールを激怒させることとなる。
レース中に突然、右前輪がブレーキドラムもろとも外れて空高く舞い上がったのだ! スタブアクスルが折れたのだった。しかもゴルディーニのマシンのブレーキシステムは1系統であったので、ノーブレーキ状態となった。
幸いにも、事故が起きたのは比較的直線で、かつ若干上り勾配であったから、ポールはなんとか無事に路傍にマシンを停め、歩いてピットに戻ることができた。だが、もし2q手前の下りのワインディングで起こったらどうなっていたか…。
「もうたくさんだ!」
ポールはゴルディーニを去ることを決意する。

アバルトは天才技術者であったが、また経営の天賦も持ち合わせていた。しかし、ゴルディーニには経営の才能はなかった…。
彼の最後のF1が、ゴルディーニで唯一の利点だった軽量性を失ったために失敗した直後、彼はルノーに雇われることを選択する。

この項つづく。
タグ:GORDINI
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2009年11月13日

Gordini Story. chapter 1 

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Amédée Gordini (1899-79)

1899年、アメディ・ゴルディーニは、イタリアはボローニャ地方の非常に貧しい家庭の四男として生まれた。農園で働いていた父親は彼が8歳のときに亡くなったため、11歳になると学校を辞めて、最初は農業労働者、その後は馬車や自転車の修繕をして一家の生活を支えた。
その後、単身パリに移住を果たし、フランス国籍を取得していた。

1935年、フィアットはフランスでの高課税対策として、フランス国内で製造する目的でシムカ社を設立。SIMCAとは「自動車車両車体工業会社」(Société Industrielle de Mécanique et Carrosserie Automobile )という意味。ゴルディーニはシムカから資金援助を受け、シムカ車のチューニングとレース活動を開始する。
ゴルディーニは大成功を収め、なかでもフィアット1100のフランス版、シムカ8をベースに、ゴルディーニは、当時としては空力的な2シーター・レーシングボディを架装。このモデルは速かったようだ。
シムカはフランス車と見做されたので、愛国的なフランス人の間でゴルディーニの人気は大いに高まった。

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1939 SIMCA 8 GORDINI

戦後ゴルディーニは、鋼管フレームにシムカのコンポーネンツを移植して、シングルシーターの分野へ進出を図る。
この小さくて軽量な1100ccフォーミュラカーは、ファンジオなどの名手による操縦により、同じくフィアット・ベースのチシタリアの好敵手となった。

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Montage de la monoplace de course conçue et pilotée par Amédée Gordini, pour le Grand-Prix automobile de Saint-Cloud. Paris, juillet 1946.jpg

1952年まで、ゴルディーニはシムカの資金援助によって運営され、シリンダーヘッドやブロックを開発することができたのだが、翌年シムカは援助を打ち切る。ここにいたって、シェル石油とディスク・ブレーキやダンパーなどを供給する部品メーカー、メシエだけをスポンサーに事業を続行することとなったゴルディーニは、ただのチューニングではなく、GPマシンのすべてを一から彼の名のもとに製作する方針を決定する。1953年にデビューした彼の真新しいシングル・シーターは、彼自身の設計・製作になる6気筒エンジンを備えていた。単純無比で、同時代のフェラーリやマセラティに比べれば荒削りとさえいえるシャシー自体も独自の設計・製作だった。それは単純なパイプのラダー・フレームで、4速ミッション(のちに5速)はエンジンと一体式、リアアクスルは市販車の固定軸で、縦置きトーションバーがそれを支えた。2500cc型の出力は200〜210psにすぎなかったが、単純な構造から非常に軽量なマシーンに仕上がった。これが特にワインディング・コースでライバルと結構互角に戦えた理由であった。しかしメルセデスは云うに及ばず、イタリア勢にはとうていまともには歯が立たなかった。

この項つづく

(以上、『いつもクルマがいた ポール・フレール自称伝』二玄社より)


フランス、シムカクラブ
http://www.clubsimca.fr/organisations/clubsimca.php
タグ:GORDINI FIAT SIMCA
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2009年11月11日

【フレンチブルーミーティング2009】 往路で遭遇した希少車

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CITROEN BX 4TC
BXには、 世界ラリー選手権・グループBの参戦資格を得るために200台製造された「4TC」と言うモデルが存在した。

外観は、ワイドトレッド化にともない前後フェンダーがブリスターフェンダーとなり、フロントライトの間に補助ライトが4灯埋め込まれ、リアには大型スポイラーが装着されていた。

エンジンは、プジョー・504用エンジンがベースの、排気量2.1Lで4気筒OHCターボのガソリンエンジン。それを縦置きでフロントオーバーハングに積み、4WD方式で駆動した。当時の最先端、フルタイム4WD+ビスカス・カップリングではなく、パートタイム4WDであった。初期のアウディ・クワトロとほぼ同じである。

サスペンションは、前後ともにダブルウィッシュボーン式に変更されたものの、スプリングはそのままハイドロニューマティックを使った。

競技用エヴォリューションモデルでは回頭性の向上を狙いラジエターとチャージクーラーは後方に移されたものの、ハイドロニューマティックはそのまま使われた。このサスペンションの耐久性は低く、「悪路ポリス」と揶揄される、非常にハードな1986年アクロポリスラリーでは、出走3台すべてが序盤すぐにリタイアしている。WRCでは、モンテカルロ・ラリー、スウェディッシュ・ラリー、アクロポリス・ラリーに出場している。

競技での成績不振と高価格で、市販車のほとんどは売れ残り、廃棄された。正確な台数は不明だが、現存40台程度と推測されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BBBX

こちら↓は、4TC Evo ワークス・バージョンだ。馬力は380ps以上、フロント・ヘビーの化け物だ!!


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LANCIA Thema 8.32
これはイタ車好きなら誰もが知っている、ランチア・テーマにフェラーリ308のV8エンジンをぶち込んだ希少車。
1955年、ランチアは経営難でGPから撤退することとなる。その際、ランチアは開発したGPマシンD50をライバルのフェラーリに譲ることとなった。テーマ8.32は、その御礼返しと云われている。
写真のクルマは、新宿のホストクラブの兄ちゃんが初めて買った中古のフェラーリで興奮している、と云うような印象の運転をなさっておりましたよw
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2009年11月07日

【フレンチブルーミーティング2009】  RENAULT R8 GORDINI 1300

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ピッカピカで新車かと思うほどの極上車。札幌から来られたようですが、16年前の自分を思い出しました。
旧車不毛の土地札幌でも古いクルマを維持できる環境が整いつつあるようです。

さて、ベースとなった DAUPHINE の後継車 R8 はどのようなクルマだったのか。
当時も今もフランス人がクルマに求めるのは変わらない…
4人の大人がゆったり乗れ、鋭い加速と100q/h以上の巡航速度を併せ持ち、ソフトな乗り心地を持ち、しかもスポーツカー並みの高速直進安定性を期待する。
そんな要求に対するルノーからの回答が R8 だ。
直線を基調としたデザインは DAUPHINE よりも広く、大人4人が快適に座ることができる。スィングアクスルを前方からラディアスアームで吊るようにした結果、RRとしては PORSCHE 356 に匹敵する操縦安定性を持ち、4気筒OHV、956cc、48ps/5200rpmを発生するエンジンにはクラスを超えた5ベアリングを採用、ブレーキにはクラス初の4輪ディスクを奢り、フランス人特有のフル加速、急ブレーキを繰り返す運転に対応したのだ。


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GORDINI は、この優れた素材の R8 を次のように料理した。
ヘッドにはクロスフロー・タイプを装着。バルブ径を極限まで拡大するために副燃焼室を設け、圧縮比は8.5から10.4へと格段に高め、キャブは同じソレックスながらツインチョークのC40PHHが2基装着されていたのだ。
このような大改造を施し、1965年に発売された GORDINI は、95ps/6500rpmとほぼ2倍のパワーを誇った。2年後、1967年のパリサロンでは、R8 GORDINI 1300 が発表された。外観はヘッドライトの内側に1対のドライビング・ライトを増設。
エンジン排気量は1255ccにアップ。圧縮比は10.5まで上げ、2基のウェーバー40DCOEにより103ps/6450rpmを発生。4速のミッションは5速に改められ、最高速度は175q/hにも達した。リア・ヘビーの重量配分を改良するために、リアだけではなくフロントにも燃料タンクを増設している。
R8 GORDINI はラリーやルノー主催のワンメイクレース、ゴルディーニ・カップなどで活躍。1970年まで生産された。


余談だが、ルノーは2代目 CLIO の末期に GORDINI バージョンを復活させている。社内ではフィアットによる ABARTH の成功を睨み、プレミアム・ブランドとしての GORDINI 復活を計画していると云われている。
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タグ:Renault GORDINI
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2009年11月06日

【フレンチブルーミーティング2009】  RENAULT DAUPHINE・GORDINI

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RENAULT DAUPHINE

あちこちに擦り傷や凹みがあるのだが、それが良い雰囲気を醸し出している個体。いまにもジャン・ギャバンがこれに乗って銀行強盗にでも使いそうだ。
Cピラーのサイドマーカーとテールのオレンジのウィンカーレンズは右ハンドル(英国)仕様ならではのものだろうと思われる。

5人乗りのRR車で、1956年のパリサロンで発表以来、爆発的な人気を得た大衆車。
この頃のルノーは対米輸出にも積極的で、ビートルに継ぐ地位を数年誇った。
中身は基本的に4CVと同様のもの。
大きさは4CVよりも一回り拡大され、ホイールベースは170o長くなり室内は広くなった。それに伴う重量増に対し、エンジンの排気量は845tに拡大され30ps/4250rpmに、3速ミッションで最高速度は115q/hとなっている。

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57年には北米輸出を意識し、4CVでも設定していた自動クラッチも選択できるようになった。
59年には4輪にグレゴワールの特許による“アエロスタブル”と称す補助コイルを全車種に装着。これは空気を封入したゴム製スプリングで、荷重が増すとスプリング・レートを変えるようになっている。

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“AUTOMOBILE CLUB FRANCE”(ACF)のバッジに注意。
114年の歴史を誇る権威あるクラブなのだ。
http://www.automobileclubdefrance.fr/index.php


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RENAULT DAUPHINE GORDINI
ルノーのアバルトとも云える、アメデ・ゴルディーニがチューンしたもので、ミッションは4速にし、エンジン出力を40psにアップ、最高速度は125q/hに向上している。
ゴルディーニは1899年イタリアはボローニャに生まれた。23歳の時に渡仏。まもなくフィアットのチューニング・ショップを開業し、帰化してからはレース活動を始めることとなる。その後フィアットのライセンス生産をしていたシムカに迎えられ、コンペティション・マシンの制作に携わることとなる。戦後、シムカと折り合いがつかなくなり、1952年に独立、しかし経営困難でレースの成績も振るわず困り果てていたところを救ったのがルノー公団であった。
その後の活躍は云うまでもないだろう。

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タグ:Renault GORDINI
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2009年11月05日

【フレンチブルーミーティング2009】  CITROEN SM

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1964年、コードネーム“DS SPORT”と名付けられたプロジェクトがシトロエン社内で立ち上がった。
その目的は、前例のない快適さ、安全性、信頼性を保ちつつ190q/hを超える速度でオートルートを何時間でも巡航できる、豪華高性能のGTを作ることであった。
6年後の1970年、クルマは完成した。それが SM である。
その鼻先には、マセラティによる新設計のV6DOHC、2670cc/170psエンジンが搭載されている。最高速度はFF車初の220q/hにも達した。

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この角度から見ると、DS同様に後がそうとう絞り込まれていることがわかる。フロントとリアのトレッドには200mmもの差異がある。これにより、空気抵抗係数はCd=0.39を誇り、矢のような直進安定性も確保した。
ステアリングもSMの特徴のひとつで、ハイドロの油圧を利用したセルフセンタリングシステムを採用している。簡単に云えば、手を離すと強制的に直進状態に戻る装置。これも高速安定性に寄与することになる。

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タイヤはフェラーリ・デイトナにも採用された、ミシュランの高性能ラジアルタイヤXWXを装着している。
写真のクルマは標準のスチールホイルを装着。オプションでミシュラン製のカーボンファイバーホイルも設定していた。1セット150万円と云われている。

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シビエ製の6灯ハロゲンライトは、一番内側がDS同様にステアリングと連動して左右に首を振る。また自働光軸調整装置により光軸の高さが一定に保たれている。

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16年前に、SMの助手席に乗らせてもらったことがあった。マセラティのV6が奏でるビートは素晴らしく、装着されていたオプションのアンサ・マフラーは高らかに心地よい音を鳴らし、ハイドロの素晴らしい乗り心地と相まって、空飛ぶ絨毯に乗ったような気分を満喫した。
それこそ、地の果てまでも快適に走り続けるクルマ、それが SM だ。
タグ:CITROEN
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2009年11月03日

【フレンチブルーミーティング2009】  CITROEN DS21

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名古屋にあるシトロエンのディーラー、渡辺自動車です。創業は1938年!
1952(昭和27)年にトラクシオン・アヴァン 11CV を日仏自動車から仕入れて販売。ほぼ60年にわたりシトロエンを取り扱っている老舗です。
http://www.watanabejidousha.co.jp/citroen/news/eventreport/017/index.html

毎年、お客さんを対象にしてFBMツアーを行っているようですねぇ。


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CITROEN DS21
DS は1967年9月に2度目の大きなフェイスリフトを受け、“cat's eye”と呼ばれるものとなりました。
写真でわかるでしょうか、内側のハイビーム専用ライトが左側を向いております。ハイビーム・ライトがステアリングと連携しており、コーナーの先を照らすようになっているんですなぁ。シトロエンならではのアイデア装備です。
エンジンは、直列4気筒OHV、2175cc/109ps。

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ラッパのようなウィンカーなど、やっぱり DS もベルトーニによる前衛芸術作品なんだと、あらためて思います。
黒のボディがシックですねぇ。

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オーナーさんの御好意で室内も観させていただきました。
1本スポークのステアリングが気分ですなぁ♪
ステアリングの背後にあるのはギアセレクター。DS は4速セミオートマチック。ハイドロによって自動クラッチとなっています。
ラジオの位置だけは数少ない弱点です。この位置では運転手が操作することは不可能。

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応接セットの肘掛のようなドア内側のアームレスト。
シートの座り心地はフカフカで、相方も感動していました。

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この素晴らしいコンディションの DS21 は、オーナー氏のお母様が40年ほど前に新車で購入されたものを受け継いだそうです。
堂々とした風格をもつ DS21。まさにオート・ルートの王者の雰囲気を醸し出しています。
タグ:CITROEN
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2009年11月02日

【フレンチブルーミーティング2009】 CITROEN AMI6

1950年も後半となると、もはや大戦によるモノ不足と配給制度は忘却の彼方の押しやられ、西ヨーロッパの先進諸国ではクルマをレジャーの道具として使うようになっていった。
フランスももちろんそうで、国内の中産階級にとってクルマは通勤や買い物だけでなく、遊びの道具として根付いていったのだ。
その流れは女性たちにクルマを運転したい、という要求を急速に増大させ、シトロエンの宿敵であったライバルのルノーは女性にも魅力的なクルマ、ドーフィンやフロリードを投入していった。
しかして、シトロエンの当時のラインナップと云えば、なんと 2CV とDS/ID しかなかったのである。これは例えれば、トヨタがクラウンとヴィッツのみで商売しているのと同じ事であった。
ルノーに遅れまいとしたシトロエンが、 2CV と DS/ID とのギャップを埋めるべく 2CV をベースに開発したファミリーカーが AMI6 なのだ。

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1961年4月、 AMI6 は「世界で最も快適なミディアムクラスのクルマ」と銘打って登場した。
どうだろう、この強烈なフロント・マスク。奇怪な前衛芸術にも見え、多くの人たちには醜悪にも見えるボディ・デザイン。漫画「天才バカボン」に出てくるオマワリサンのようであり、思わず笑いを誘う。
デザインは DS と同じフラミニオ・ベルトーニ。彼自身は、フロント・エンドを DS と同様のものにしたかったらしいのだが、コストの関係でこのようなものになったようだ。
異型ヘッドライトは CIBIE との共同開発によるもの。量産車としては世界初となった。
白く見えるルーフは半透明のプラスチック・パネルで無塗装で取り付けられ、軽量化に貢献している。

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横から見ると、停車した状態で疾走しているように見えるクリフカットが特徴だ。このルーフのデザインはウィンドウ面積を大きくすることにも貢献している。ウィンドウがスライド式なのに注意。
サイドパネル中央の深いプレスラインは、薄い鉄板に強度を与え、彫刻的な造形をもたらしている。

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エンジンは 2CV よりも拡大された、空冷水平対向2気筒OHV、602cc/22psを搭載。620kgの軽量なボディを最高速度109.4q/hまで引っ張った。
サスペンションは前・リーディングアーム、後・トレーリングアーム。 2CV の前後関連懸架を採用。
これにより、2CV 同様の快適な乗り心地と、並みのスポーティーな当時のクルマよりも遥かに優れたロードホールディング性能を誇る。
実用燃費16q/Lを謳った AMI6 をシトロエンは「経済的で高性能なクルマ」と称し、「馬力やクロームメッキの重量、価格などでクルマの品質を云々する方はおことわり」とレベルの低い消費者の購入を拒絶している。いかにもシトロエンらしいコピーである。

一見、万人には受け入れ難いデザインのこのクルマは、フランスで大ヒット。66年には年間生産台数が18万台となり、フランス国内で2位を大きく引き離しベストセラーとなった。その後も好調で1961〜1969年の長きにわたって生産されたのである。
CG1962年10月号の「シトローエン」(笑)特集によれば、当時の欧州価格は邦貨換算で47万円だったようだ。ちなみに日本での価格は100万円以上(当時輸入車は入札制だった)! 大卒初任給が月1万2千円だった頃の話である。

大衆車で前衛を具現化した AMI6 。デザインしたベルトーニの美的感覚には脱帽してしまう。このようなクルマは日本では計画の段階で破棄されてしまうだろう。
AMI6 は「カッコワルイのがカッコイイ」という古いフランス車の王道だと思うのだ。ただカッコワルイというクルマならイナカ企業トヨタでもデザインできるだろうが、カッコワルイことの絶妙なサジ加減は、真似しようとしても無理だろう。


1964年には派生型の BREAK が登場、フランス初の廉価な小型ワゴンとなり、その使い勝手と受け入れやすいデザインが市場で歓迎された。後期の生産は殆どが BREAK だったと云われている。
タグ:CITROEN
posted by ジャンニ at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | フランス車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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