2010年04月04日

Cisitalia 202 SC 1947

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1951年に「動く彫刻」として、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に永久展示されているクルマだ。
ボディーの製作はピニンファリーナで行われた。
この赤いクルマは、ピニンの兄の工房であるスタビリメンテ・ファリーナで製作されている。


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チシタリアの市販スポーツカーとして生産されたのが、“202 SC”であった。
基本的にレーシングカーであった他のチシタリアと同じ構造で、ボディーはアルミの外板とマルチ鋼管フレームによってできている。
エンジンは直4、1089tOHV、55ps。
オリジナルのボディー・デザインはよく云われているピニンファリーナではない。天才エンジニアのジョバンニ・サヴォヌッツィだ。ピニンは生産化のために手を加え、ボディーを生産した。
全幅1450mm、全長3800mmと、写真で見るよりも現車は小さなクルマとなっている。
カブリオレも用意され、モナコ皇太子レーニエ、映画監督のロベルト・ロッセリーニ、自動車王フォード2世、アルゼンチンの独裁者ペロン大統領らが愛用した。

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総生産台数は200台以下と云われている。
それもそのはず、当時キャディラックのクーペが$2200、キャディラック・コンバーチブルが$2900であったが、チシタリアは量産タイプの“202 SC”で$5000、コンバーティブルが$7000とキャデラックの倍以上、非常に高価なクルマであった。
大戦直後、復興途中の世界で高級車市場で商売なんぞ長続きするわけは無かった。ましてや4気筒1100tのクルマがキャデラックのV8の倍の価格…理解しろと云うこと自体が無理な話であった。
“202 SC”発表の翌年48年にはトリノの工場を閉鎖。創業者のピエロ・ドゥジオは失意のうちにアルゼンチンへ帰るのであった…。


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“ライト・リングのアールデコ調の装飾に注意”

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“このクルマのハイライトは流れるようなサイド・ラインだ”

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posted by ジャンニ at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリア車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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