2009年11月30日

Lancia Rally 037 (1982〜85)

今月の14日、メイク・ア・ウィッシュ・ジャパンによるイベントに行ってきました。
会場は、元フェラーリミュージアム。16年前に一度見物したことがありましたが、ドイツのチバラギであるケーニッヒのフェラーリを展示するような素晴らしいスバラシスギルセンスに頭がクラクラしたことを思い出しました。

当日は、あいにくの暴風雨。一時はどうなるかと思いましたが、昼近くになると雨と風がやんで、来場していたクルマを見物することができました。そこには、はじめて見るランチアが鎮座しておりました。

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ラベル:Lancia FIAT Alfa Romeo
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2009年11月29日

買ってはいけない VW BEETLE

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★★☆☆☆
車両本体 245万〜298万円 評価BAD

そう、まだ売っているんです。しかも、いまだに基本的なメカニズムは97年にデビューした4代目のゴルフ!! 12年以上前の設計ですよ!!!

エンジンも12年前のゴルフに搭載されていたもの。VW自慢の最新技術であるFSIエンジンは搭載されていない。
製造は、労働賃金が安いメキシコ工場で行われている。
そんなやっつけ仕事のクルマが245万円ってぇの高くねぇかい?
RRの初代デザインのコンセプトを無理やりFFに応用したため、エンジンスペースが室内に食い込み、不恰好に長大なダッシュボードとなり、後席の空間はある程度制限されることになり居住性、及び使い勝手は犠牲にされている。車体後方の見切りも非常に悪く、後退には多少の慣れが必要。独特なデザインは空気抵抗面でも不利であり、同じエンジンを積んだゴルフIVやボーラと比べると燃費は低下している。(wikipediaより。)


オリジナルのビートルはドイツ本国で78年まで生産されたが、このニュービートルはそんなに長く生産されることはないだろう。すでに何もかもが古臭い車だ。
日本でのニュービートル公式ウェブサイトには次のように紹介されています。
単なる移動として割り切るとか、目を三角にしてアクセルを踏み込むのではなく。まわり道をしたり立ち止まったり、ゆとりを楽しむ。人とクルマの新しい関係を提案する、New Beetleです。

http://www.volkswagen.co.jp/cars/newbeetle/main.html
12年前の古臭い設計そのままで販売してきたことを誤魔化すにはあまりにも陳腐なコピーです。

こんなクルマを買うのなら、新型ゴルフを買うか、程度の良い旧型ビートルを探して買うことをお勧めします。
ラベル:VW
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2009年11月28日

B級映画「フェラーリの鷹」は実話だった!!


1977(76?)年のイタリア映画で“Poliziotto sprint”というのがある。「速い警官」という意味だ。ネットで検索すると原題を“Highway Racer”としているのが多いが、北米上映用だろう。
邦題は「フェラーリの鷹」となっているが、上映当時に流行した「サーキットの狼」にあやかったものと想像できる。
映画では1962年型 Ferrari 250 GTE がシトロエンDSとのカーチェイスが見もの(ここしか見どころがない)となっている。
ただ、250 GTE のあまりの古臭さにガッカリするような内容で、むしろ途中ででてくるランチア・フラヴィア・クーペの方が良かったりする。

まっ、途中で観るのを止めたくなるような映画だが、なんと実際にローマ警察で黒の 250 GTE が採用されていたのだ!!
250 GTE はフェラーリ初の2+2モデル。エンジンを前方にずらして室内を確保。後席は子供がゆったり座れる程度らしい。
エンジンはV12SOHC、2953cc、240ps/7000rpmと250シリーズではおとなしいチューンとなっている。それでも、最高速度は230q/hで世界最速の4シーターであった。
生産はピニンファリーナで行われ、合計1000台が製造されている。

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納入においては、フェラーリがマラネロのテストコースにローマ警察関係者を招待。フェラーリのテストドライバーによる「速く走るための」念入りな講習が行われたという。
ラベル:FERRARI
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2009年11月27日

買ってはいけないトヨタ ist

欧州で最も権威のある自動車衝突安全テスト、Euro NCAP の最新テストの結果が発表された。

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最近のテストでは、最高点数の5つ星が当たり前となっているが、今回トヨタの Urban Cruiser(日本名ist)が信じられないことだが3つ星の結果となっている。


1:05頃に現れる映像に注目。カーテンエアバックが作動しているにもかかわらず、頭部が明らかに鉄柱と激突している。

http://www.euroncap.com/results/toyota/urban_cruiser/2009/391.aspx
前面のオフセット衝突では膝用エアバックが装備されているにもかかわらず、運転席のダミーの左膝はダッシュボードに接触し高い数値を示した。ダッシュボードの構造は運転席助手席共に膝と大腿骨損傷のリスクを示した。横からの柱衝突テストでは、ヘッド・カーテン・エアバッグは頭部に強く当たることを防げなかった。頭部の防護だけは何とか合格点だが、ユーロNCAPの条件下では、このテストに対し点を与えない。というのは、エアバッグの動作がしっかりしていることが現実の事故における予想し得る防御のために本質的であるとみなされているからだ。柱衝突テストにおけるエアバッグの動作が意図にそぐわなかったことにより、同じエアバッグは、サイドバリアテストで減点され、運転手の頭部に対するスコアが低下した。後部衝撃におけるむち打ち症への防護は、合格点ギリギリだった。


簡単にいえば、装備されている膝用エアバック(日本仕様には装備されません)とカーテンエアバックは、まともに作動しない意味のない装備であり、他のメーカー車と比べるとムチ打ち症になる可能性が高いと云うことです。

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欧州市場での車名“Urban Cruiser”というのが、グリニッジヴィレッジでの連続殺人事件の犯人の名前を連想させるもので、それがハッチバックにデカデカと書かれているのだからどうしようもないわけですw
ラベル:トヨタ
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2009年11月26日

Renault Vel Satis 製造中止へ

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ついにルノーは2001年に発表された高級車ヴェルサティスの製造中止を決定しました。
サフランの後継車であったヴェルサティスはパトリック・ルケマンにより5ドア・ハッチバックの前衛芸術というような意欲作でしたが、さすがにヨーロッパでも保守的な購買層が占める高級車市場では無理だったようです。
当初は年間6万台を目標としていましたが、実際は8年間で6万2千台が製造されたにすぎません。

後継車はサムソン自動車により製造されることになりそうで、サフランという名前が復活されるもようです。

パトリック・ルケマンのデザインは写真写りが悪いクルマが多く、このヴェルサティスもその1台です。

自分は東京モーターショーの展示車を観ましたが、実車は数倍素晴らしいものでした。シトロエンDSに通じる、ある種の退廃的な匂いがプンプンするクルマだったのです。
トヨタのデザイナーでしょうか、2名の男が展示車の内装の寸法を巻き尺で計測し、こと細かにメモしていたのには驚きました。
それぐらい、居心地のよい室内であったわけです。

会場では、多数の人が「いつ発売されるのか」とコンパニオンに訊ねていましたが、「来年には販売される予定です」という約束は守られることなく、カングーばかり売れる市場に日本はなり果ててしまったわけです。

ラベル:Renault
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2009年11月25日

名ばかりのゴルディーニ復活劇w

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ついにゴルディーニ復活。ルノーはゴルディーニの最初のモデルとして Twingo を選んだ。
ベースは Twingo RS 。
それに、17インチの専用アロイホイール、専用バケットシート、ドアパネルにはブルーのレザートリム、革巻きのステアリング、シフトノブにはゴルディーニのロゴ入り、自動防眩ルームミラー、オート・ヘッドライト、クルーズコントロール、オーディオコントローラー付きステアリング、ブルートゥース・コネクター…などなど、豪華装備がついて、肝心のエンジンと足回りのセッティングは、まったく RS と同等のママ。

ガッカリですなぁ。
ゴルディーニって走りが良いから注目されたんであって、豪華装備で皆が絶賛したわけじゃないでしょうが。
装備を簡素化して軽量化するとか、いろいろ出来るハズだと思うのですが…。

これでは、昔フィアットがバッジチューンで発表した「なんちゃってアバルト」と変わらない。

あの世で、ゴルディーニも嘆いていることでしょうよ。
ラベル:Renault GORDINI
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Audi R8 V10 against C6 Corvette ZR1


昨日の日産GTRとの対決の続き、こんどはシボレー・コルヴェットZR1との対決です。
チープな内外装に、大トルクのエンジンは強烈なトルクステアを発生。知性のかけらも無さそうなジャジャ馬のアメ車にアウディは勝てるでしょうかねぇw
ラベル:Audi
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2009年11月24日

Audi R8 V10 vs Nissan GT-R


回すと豪快な咆哮音で魅了するランボルギーニのV10エンジンをドイツ品質で搭載した Audi R8 。かたや、プレイステーションでゲームをやるような感覚でいとも簡単に速く走れてしまう Nissan GT-R。
理想は、Audi R8 のボディと内装に Nissan GT-R の技術といったところでしょうかねぇ。


テレビゲームの Forza Motersports では、XANAVI NISMO GT-R のコーナリング性能がライバルよりも断トツに良いので、ついつい選んでしまいます。そのかわりストレートが長いコースでは、250q/hぐらいからノビが頭打ちになり、ポルシェやアストン、コルベットの連中にあっさり抜かれてしまいますがね。

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ラベル:日産 Audi
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2009年11月23日

福澤幸雄の死に抗議する 福澤進太郎

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【68年、日本Can-Amにてスターリング・モスと語り合う福澤幸雄】

福澤幸雄(1943〜1969)は、あの福澤諭吉の曾孫であり、父・福澤進太郎とギリシヤ人である母・福澤アクリヴィとの間にパリで生まれた。
ハーフであった幸雄は、そのエキゾチックな顔立ちでファッションモデルで大活躍。自らアパレルメーカー・エドワーズの取締役兼企画部長を勤めていたほどだ。
その時代の最先端の、クールな生活ぶりは、クレイジーケンバンドの名曲「ハンサムなプレイボーイ」でうかがい知れる。

そのカッコイイ、プレイボーイは、1969年2月12日に静岡県袋井市のヤマハテストコースでトヨタのレーシングカー、トヨタ7のテスト中に起きた事故により、レーシングドライバーとして更なる飛躍を期待されていた福澤幸雄は、この世を去ってしまう。享年25歳であった。


コース脇に設置されていた標識に激突炎上した幸雄のマシンは宙を舞い炎上した。
驚くべきことに、トヨタの関係者は消火活動をせずに、20分間も燃え盛る炎の中で幸雄が焼け死ぬのを黙って見ているだけであった。

いったいその時、何があったのか?

トヨタの対応に納得がいかない、父・福澤進太郎が、雑誌『話の特集』1969年4月号に残した談話を転載する。
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ラベル:トヨタ
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2009年11月22日

500 HAPPY!

フィアットジャパンお得意の限定車が発表されました。

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写真では薄いグリーンですが、実際にはもっと濃い色だと思います。

日本人の限定もの好きに合わせた企画ですが、そろそろ他のことを考えた方が良いと思うのですが。
たとえば、本国同様のフルチョイスシステムは導入してほしいですね。
3か月待ちでも問題ないと思うのですが。

http://www.fiat-auto.co.jp/newsrelease_20091120.html
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2009年11月21日

Abarth Race Day

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今月の14日、イタリアはブレシアの Autodromo di Franciacorta で開催された“Abarth Race Day”。1000台のクルマと3000人もの参加者で盛況だったようだ。
参加したクルマは、ほとんどが500とグランデプントだったようだが、中には esseesse 595 and 695, 850 and 1000 TC, 124 Abarth Sport Spider, Ritmo Abarth Autobianchi A112 Abarth も見られたようだ。

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会場内では、500 Assetto Corse によるデモ・レースや、あのランチア・ストラトス使いで有名な、サンドロ・ムナーリによるアバルト・ドライビング・スクールも開催されたようだ。ウラヤマシイ…。

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ラベル:Abarth
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2009年11月20日

ウィンカーいらないんじゃね?

いまから45年前の1964年、カーグラフィック11月号に、現CG編集顧問の小林彰太郎氏が執筆していた辛口のコラム『《時評》警笛』の記事を転載する。
2ヵ月ぶりに日本に帰って,今更ながら道路交通の無秩序さを思い知らされた。誠に残念なことだ,日本の道路ほど危険で走りにくく,しかもスピードのおそい国は例がない。イタリーは非常に危険だといわれるけれども,筆者の経験では日本の何倍も走りやすい。日本の交通が目茶苦茶な理由のひとつは,道路面積が絶対的に狭く,車,特にトラックの数が相対的に多いことだとはしばしば指摘されることでその通りだが,問題はそれ以上に,道路を使うドライバーの行儀のわるさにある。2ヵ月留守にした東京の街へ出たその日は,誇張でなく本当に手
も足も出なかった。10年以上も毎日東京をわが庭のように走り廻ってきた筆者にしてそうなのだから,いかに東京の交通が外国にくらべてひどいものであるか,認識していただきたい。日本のドライバーのいちばん悪い点は,やたらに右往右往することである。たとえ1分間でも前車のあとに続いて走ることがない。しかも全く予告なしに車線を変える。外国では,どの国でも追越しなどのために道の中央側へ出る時はまずウィンカーを上げて後車に予告することが厳格に実行されている。だから日本のように突如として右(あるいは左)へ出てくるということは絶対にない。私達は馴れてしまって何とも感じないが,もし外国で同じことをしようものなら,無法者として周囲から一斉に非難を浴びるだろう。日本では追い越した車が無理に前へ割りこむ時にだけ,左にウィンカーを出す馬鹿気た習慣があるが,どうして日本の公安委は外国並みのウィンカーの使い方を法制化しないのだろう
か。
おえら方は恐らく何度も外国の交通事情を視察に行ったに違いないが,一体何を見て来たのだろう。

この時、小林氏はホンダのF1初参戦を取材するため、発売直後のホンダ・S600をヨーロッパに持ち出し、2ヶ月半で12,000kmを走破するという日本人として前代未聞の取材から帰ってきたばかりだった。
帰国した東京で見たドライバーの極悪非道のマナーに思わず閉口してしまった、というのが本音だったようだ。

さて、45年経った我が日本。残念ながら、その状況はちっとも変っていないのが現状だ。

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これらのクルマは、いずれも走行車線で追い抜きを繰り返し、ウィンカー無しで追い越し車線に割り込んでくるという危険運転行為を行っていた輩である。
45年前と何も変わっていない。悲しいかなこれが日本なのだ。
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2009年11月19日

Passion For Abarth - 蠍伝説


過去も現在も、アバルトを愛する人たちは、アバルトに熱い情熱を感じとっている。
排気量は小さいが、そこからほとばしる熱い走りに魅了されているのだ。
カルロ・アバルトのレースに捧げる情熱をカタチにしたクルマ。それがアバルトなのだ。

映像に登場する、赤の古いベルリネッタは ABARTH 204A (1950) だ。
このクルマが初めて姿を現したサーキットに因んで“モンツァ”という愛称が与えられた。
華麗で時代の最先端を行くデザインは、ジョバンニ・ミケロッティ。カロッツェリア・ビニャーレがボディを架装している。
直列4気筒、OHV、1089cc、2基のウェーバー36DR4SPDで83ps/6000rpmを叩き出している。最高速度は170q/h以上にもなった。

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1950年4月23日に開催された第17回ミッレ・ミリアに参加した 204A 。カルロ・スカリアーニとL・ジェローネのドライブによって総合31位でゴールした。1682キロの行程を16時間9分46秒で走破、平均速度は104q/hを超えていたことになる。アルミ地肌剥き出しの未塗装ボディに注意されたし。
ラベル:Abarth
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2009年11月18日

2009 Lamborghini Super Trofeo


500トロフィーなら何とか我々も参加できるかもしれませんが、ランボルギーニ・トロフィーは…金満家の道楽でしかないことがビデオから窺い知れますなぁ。


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X-boxのTVゲーム“Forza Motorsport 3”でもランボルギーニに乗ることができます。
写真はムルシエラゴですが、コーナーでの立ち上がりと直線でのスピードは良いものの、基本的に曲がらないクルマです。トルクステアも過大ですんで、立ち上がった後に、へたすると真っ直ぐ走らない…レースではよってお蔵入りです。
おまけにムルシエラゴのメーターは、80年代のファミコンのようなデジタル仕様。こんなんじゃ、ぶっ飛ばす気にもなれないでしょうw
ラベル:Lamborghini
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2009年11月17日

Fiat Abarth 500 Trophy


1400ccターボは190psで、950sの軽量ボディと相まってアクセルにダイレクトに反応。軽いステアリングは正確にコーナーをこなす。
ルノーのクリオ・カップに対抗した500トロフィー。
Valencia, Brno, Brands Hatch, Oschersleben と Imola.
6つのサーキットで戦われることとなる。
ラベル:Abarth FIAT
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2009年11月16日

PLAY WITH GAS



アルファロメオ MITO のLPG仕様のCMです。
イタリアでのLPG仕様の乗用車の普及は1960年代から始まっているそうな。
当然ながら、イタリアではLPG仕様の乗用車は他国と比べて多く、ガソリン仕様車をLPG仕様に改造するキットも売られているほど(改造費用は30万円)。
ガソリンやディーゼルが1リットルあたり約1.5ユーロのところ、ガスは0.7ユーロ前後と、半分以下なのが利点です。
日本ではLPG仕様と云うとタクシー専用と云うイメージで、ガススタンドはまず見かけませんが、イタリア全土には3000ヶ所ものガススタンドがあるそうで、全ガソリンスタンドの1割にもなっているそうですよ。
おまけにCO2排出量も少ないので、購入時にエコ奨励金が政府から出るのも人気に拍車がかかっているらしい(最高で25万円の補助金)。
なお日本のタクシーと違い、カタログバージョン、改造物ともにガソリンタンクはそのままにガスタンクを追加してある。したがって近隣にガススタンドがなくても普通のガソリンを入れれば走り続けることができる。こりゃ良いやぁ。ただ、ちと荷室が狭いかもしれません。
デメリットは地下駐車場に入れなかったり、フェリー予約にも事前告知が必要なこと。あと下取り価格も安くなるらしい。
http://www.webcg.net/WEBCG/essays/makkina/e0000019663.html?pg=1

アルファロメオもブームにあやかろうと云うことで、LPG仕様がでたんですねぇ。
Mito LPG Turbo は120ps! 最大トルクは1750rpmで発生するので街中でも使いやすい。最高速度は198q/h、0〜100q/hは8.8秒と云うのですからパフォーマンスも文句なし。
いろいろオプションつけても上限で13,900ユーロと云うのですから買いですな。
ラベル:Alfa Romeo
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2009年11月15日

Gordini Story. chapter 3

ルノーに雇われの身となったゴルディーニは命ぜられるままに、エンジンを改造していった…。

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1958年、ルノーと契約した“エンジン屋”ゴルディーニは、ファミリーカーであるドーフィンの高性能版を完成させる。
吸排気系をモディファイし、圧縮比を8.0に上げ、28mm径のゼニス・キャブレターを32mmのソレックスに換装して37ps/5000rpmにチューンした。3速ミッションは4速になり、最高速は125q/hに向上した。
翌59年には40psとパワーアップされている。

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1962年には、圧縮比を9.2に高め、ダブルチョーク・ソレックス2基で49ps/5600rpmとした最高速140q/hのドーフィン1093も少数造られた。
64年には、4輪にロッキード製のディスクブレーキが標準装備となった
ドーフィン・ゴルディーニは1968年まで生産が続けられた。


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ドーフィンの後継車R8。5ベアリングの1000ccエンジンを搭載したファミリーカー。世界初の4輪ディスクブレーキを採用している。
ゴルディーニは1108ccOHVエンジンをプッシュロッドのまま、ゴルディーニによりヘッドを大改造され、50度V字形バルブ配置、半球形燃焼室のクロスフローにされている。圧縮比10.4と2基のダブルチョーク・ソレックスで実に88ps/6750rpmを発生。795sのボディを170q/hまで引っ張る。ブレーキにはサーボが標準である。ボディはもちろんフレンチブルーで、買うと2本のストライプのための白い粘着テープがついてきた。
このクルマのラリーでの活躍は目覚ましく、第1戦の64年ツール・ド・コルスでは参加79台中、完走が8台という過酷なレースだったにもかかわらず、総合で1位、3、4、5位を占めた。
ちなみに2位はアルファロメオTZである。


1966年、R8ゴルディーニは1255ccにボアアップされ、95ps/6500rpmに向上、車重855sで最高速は+5の175q/hとなった。
0〜1qは31.9秒で2000cc時代のポルシェ911Tより速かった。

その後も、ゴルディーニは、ゴルディーニ12などの市販車エンジンのチューニングに翻弄。
1967年、ルノー公団はルマンその他のレースでの大排気量クラスのチャレンジを目論見、ルノー・アルピーヌ・ベルリネッタ用、3000ccV8エンジンの開発をゴルディーニに命じる。
しかし、1968年に出来上がったV8エンジンは非常に保守的な設計であった。1気筒あたり2バルブ、4基のキャブレターなど、オーソドックスなV8は、2996tの排気量で312ps/7800rpmを発生したが、ライバルが1気筒あたり4バルブ、インジェクションで400ps以上を叩き出している現状では非力すぎた。ゴルディーニは、ルノー公団幹部を失望させ、これ以降、彼の名声は有名無実のものとなっていったである。

ルノーがゴルディーニのために造ったパリ近郊ヴィリ・シャティヨンの工場からもゴルディーニの名前は消えていった。
10年ぐらい前まで、ここでルノーを勝利に導いたF1エンジンが開発されていた。もちろん、エンジンヘッドに刻まれた“ルノー・ゴルディーニ”の文字は、とうの昔に“ルノー・スポール”に変わっていた。

本来なら、F1にずっと挑戦したかったであろうゴルディーニ。
その晩年は、大衆車のエンジン改良に翻弄され続けた人生であった。

今年、ルノーはゴルディーニをプレミアムブランドとして復活させることを発表しているが、あの世でゴルディーニは、この世の無情を噛みしめているのだろうか。

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ラベル:GORDINI
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2009年11月14日

Gordini Story. chapter 2

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Gordini T161953 Belgian GP (21 June 1953)

ベルギー出身のレーサー&モーター・ジャーナリストであったポール・フレール(1917〜2008)は、ゴルディーニのレーシングチームのドライバーとして、1954年に4回、グランプリに挑戦している。彼はゴルディーニを冷酷に「非科学的であった」と評価する。
たしかに彼は天才的なメカニックであったが、彼の自動車工学に関する知識は100%経験的なものだった。彼の技術的問題に対するアプローチはまったく非科学的だったし、専門的知識を持つインテリを毛嫌いした。あるいは彼らに対して劣等感を抱いていたのかもしれない。長い経験から、比較的信頼性の高いエンジンを造るノウハウは身につけていたが、競争相手に比べると比出力は低かった。このハンディは、彼の単純な軽いシャーシのおかげで若干帳消しになったのは事実である。しかし私がレースで走ったゴルディーニの操縦性がまあまあよかったのは、科学的なアプローチのおかげというよりも、偶然の賜物だったろう。(『いつもクルマがいた ポール・フレール自称伝』二玄社より)


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Gordini T16のエンジン。Gordiniのロゴに注意。

ゴルディーニはエンジン屋であったが、サスペンションについては完全に誤った理解をしていたようだ。ポール・フレールは著書にて、その証拠を提示している。

フランス語ではアンチロールバーのことをスタビライジングバーと呼ぶ。1956年のトゥール・ド・コルシカ・ラリーのために、ゴルディーニはルノー・ドーフィンのチームを準備した。このラリーには、たくさんの長いスペシャルセクションがあった。ドーフィンはリアにオーバーハングしたエンジンとスィングアクスルを備えており、当然強いオーバーステアを示したが、それはフロントに強いアンチロールバーを付けることによって手なずけることができるはずだった。ところがゴルディーニはそうしなかった。たぶん彼はこう思ったのだろう。リアは“アンステイブル”だ。それならリアに“スタビライジングバー”を装着すれば直るはずだと。実際に彼はそうしたのである。
ゴルディーニが最後のF1に全輪独立懸架を設計したとき、彼はその理由を、ハブキャリアをリーディングアームとトレーリングアーム上にピボットさせ、ワッツリンクとして作用するようにするためだと、私に説明してくれたものだ。だが、この時代でもすでに、ホイールのパラレルな動きよりも、キャンバー角を制御した方がよい操縦性を得られるということは自明の理だった。(同上より)


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Gordini T161953 French GP (5 July 1953)

いつも上位に食い込めそうな速さをゴルディーニのマシンは持っていたものの、結局、ポールが参加した4回のレースはすべてリタイヤに終った。
ゴルディーニでの最後のレースとなったドイツGP・ニュルブルクリンクはポールを激怒させることとなる。
レース中に突然、右前輪がブレーキドラムもろとも外れて空高く舞い上がったのだ! スタブアクスルが折れたのだった。しかもゴルディーニのマシンのブレーキシステムは1系統であったので、ノーブレーキ状態となった。
幸いにも、事故が起きたのは比較的直線で、かつ若干上り勾配であったから、ポールはなんとか無事に路傍にマシンを停め、歩いてピットに戻ることができた。だが、もし2q手前の下りのワインディングで起こったらどうなっていたか…。
「もうたくさんだ!」
ポールはゴルディーニを去ることを決意する。

アバルトは天才技術者であったが、また経営の天賦も持ち合わせていた。しかし、ゴルディーニには経営の才能はなかった…。
彼の最後のF1が、ゴルディーニで唯一の利点だった軽量性を失ったために失敗した直後、彼はルノーに雇われることを選択する。

この項つづく。
ラベル:GORDINI
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2009年11月13日

Gordini Story. chapter 1 

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Amédée Gordini (1899-79)

1899年、アメディ・ゴルディーニは、イタリアはボローニャ地方の非常に貧しい家庭の四男として生まれた。農園で働いていた父親は彼が8歳のときに亡くなったため、11歳になると学校を辞めて、最初は農業労働者、その後は馬車や自転車の修繕をして一家の生活を支えた。
その後、単身パリに移住を果たし、フランス国籍を取得していた。

1935年、フィアットはフランスでの高課税対策として、フランス国内で製造する目的でシムカ社を設立。SIMCAとは「自動車車両車体工業会社」(Société Industrielle de Mécanique et Carrosserie Automobile )という意味。ゴルディーニはシムカから資金援助を受け、シムカ車のチューニングとレース活動を開始する。
ゴルディーニは大成功を収め、なかでもフィアット1100のフランス版、シムカ8をベースに、ゴルディーニは、当時としては空力的な2シーター・レーシングボディを架装。このモデルは速かったようだ。
シムカはフランス車と見做されたので、愛国的なフランス人の間でゴルディーニの人気は大いに高まった。

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1939_c10.jpg
1939 SIMCA 8 GORDINI

戦後ゴルディーニは、鋼管フレームにシムカのコンポーネンツを移植して、シングルシーターの分野へ進出を図る。
この小さくて軽量な1100ccフォーミュラカーは、ファンジオなどの名手による操縦により、同じくフィアット・ベースのチシタリアの好敵手となった。

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Montage de la monoplace de course conçue et pilotée par Amédée Gordini, pour le Grand-Prix automobile de Saint-Cloud. Paris, juillet 1946.jpg

1952年まで、ゴルディーニはシムカの資金援助によって運営され、シリンダーヘッドやブロックを開発することができたのだが、翌年シムカは援助を打ち切る。ここにいたって、シェル石油とディスク・ブレーキやダンパーなどを供給する部品メーカー、メシエだけをスポンサーに事業を続行することとなったゴルディーニは、ただのチューニングではなく、GPマシンのすべてを一から彼の名のもとに製作する方針を決定する。1953年にデビューした彼の真新しいシングル・シーターは、彼自身の設計・製作になる6気筒エンジンを備えていた。単純無比で、同時代のフェラーリやマセラティに比べれば荒削りとさえいえるシャシー自体も独自の設計・製作だった。それは単純なパイプのラダー・フレームで、4速ミッション(のちに5速)はエンジンと一体式、リアアクスルは市販車の固定軸で、縦置きトーションバーがそれを支えた。2500cc型の出力は200〜210psにすぎなかったが、単純な構造から非常に軽量なマシーンに仕上がった。これが特にワインディング・コースでライバルと結構互角に戦えた理由であった。しかしメルセデスは云うに及ばず、イタリア勢にはとうていまともには歯が立たなかった。

この項つづく

(以上、『いつもクルマがいた ポール・フレール自称伝』二玄社より)


フランス、シムカクラブ
http://www.clubsimca.fr/organisations/clubsimca.php
ラベル:GORDINI FIAT SIMCA
posted by ジャンニ at 18:08| Comment(0) | TrackBack(0) | フランス車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月12日

Maserati GranTurismo owner との会話

DSCF4489.JPG

「良かったら、コーヒーでも飲みながら、お話しませんか」
駐車場で、たまたま隣に停まったオーナー氏に誘われ、久々にクルマの話ができたw

マセラティは 3200GT から乗り初め、 GranTurismo は2台目。まだ1年経っていないそうだ。

3200GT は、GranTurismo よりも200s以上も車重が軽く、ターボだったので加速が良かったそうだ。
買って1年は、いろいろあったそうで…
エンジンかけるとアクセル踏まないのにレッドゾーンまで回ったり、エンジンオイルがいつのまにか空っぽ同然になったりしたそうだが、その後は何もトラブルはなく、7年ほど乗られたそうだ。
唯一の不満はブレーキで、効きが悪い代物だそうで、いつも余裕をもった車間距離で、ガツンと踏むようにしていたそうな。
いまの GranTurismo は普通に扱えるブレーキなんだそうだ。

貧乏人根性で、整備費のことなんぞ訊いてみたら、1年点検で20万円だそうで、さすが高級車なんだと納得。
保証は3年間・走行距離無制限なんだそうですよん♪

DSCF4488.JPG
ラベル:MASERATI
posted by ジャンニ at 18:02| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリア車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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